タイの歴史

タイの歴史

タイ王国の歴史のページです。

タイの統一国家、と言う意味では13世紀に興った「スコータイ王朝」と見なされていていますが、それ以前にも現在のタイ北部でのハリプンチャイ王国、ランナータイ王国、タイ北東部のクメールの文化先史時代の歴史など、長い時間の中で色々と変遷があったようです。

もっと色々調べたいと思いますが、私と一緒に勉強しましょうね。^-^)

タイは王国

タイは王国です。現在の王様は、ラーマ9世です。(プミポン・アドゥンヤデート国王陛下)
(右の写真:アユタヤの王妃がサポートする工場より)

タイ北部には、7世紀ごろから「ハリプンチャイ王国」、13世紀には「ランナータイ王国」が栄えましたが、それより中央寄り(チェンマイとバンコクの中間あたり)のスコータイに栄えた王朝(スコータイ王朝)にて王様を中心に国がまとまって行ったようです。

また、タイはタイの周りの国がイギリスやフランスによって植民地化される中、ずぅっと独立を守った国でもあるんですね。

タイの暦

タイでは、日本や西洋が使用しているカレンダー(太陽暦:グレゴリアン・カレンダー)も使いますが、今でも仏暦を使います。

  • 仏暦
    西暦+543年 (だから西暦 2014年は、仏暦 2557年)
  • 西暦
    仏暦-543年 (2557とかを見かけたら、そこから543引いてみると西暦が分かる)

日本では1872年まで陰暦を使用してましたが、1873年に太陽暦に切り替えてます。
(余談ですが、タイでの結婚式時、まだあまりタイの事を知らず、この仏暦がドーンと壁に書かれていて、初めはなんだろう?と思ってました。^-^;) )

チャクリー王朝

現在の王朝はチャクリー王朝です。
「ラッタナーコーシン(またはラタナコーシン)王朝」とも呼ばれるようです。(王宮が「ラッタナーコーシン島」にあることより)

チャクリー王朝 - 歴代の国王

最上段が初代ラーマⅠ、
2段目左からラーマⅡ、Ⅲ、Ⅳ、
3段目左からラーマⅤ、Ⅵ、Ⅶ、Ⅷとなります

最上段が初代ラーマⅠ、
2段目左からラーマⅡ、Ⅲ、Ⅳ、
3段目左からラーマⅤ、Ⅵ、Ⅶ、Ⅷとなります
THAI HUMAN IMAGERY MUSEUMより)

  • ラーマ1世(1782年-1809年)(仏暦2325年-2352年)
  • ラーマ2世(1809年-1824年)(仏暦2352年-2367年)
  • ラーマ3世(1824年-1851年)(仏暦2367年-2394年)

  • ラーマ4世(1851年-1868年)(仏暦2394年-2411年)
    このころから西洋諸国と公に交流が始まりました。
    映画「アンナと王様」の王様は、このラーマ4世です。

  • ラーマ5世 (1868年-1910年)(仏暦2411年-2453年)
    西洋との交流がとても盛んになりました。ヨーロッパへ視察旅行にも行っています。
    大きな行政改革や身分制度廃止をした王様であり、また、イギリスやフランスからの侵略から国を守った王様として、タイ3大王の一人とされています。
    幼名より、「チュラーロンコーン大王」とも呼ばれます。(タイの大学の名前でも有名ですね)

  • ラーマ6世(1910年-1925年)(仏暦2453年-2468年)
  • ラーマ7世(1925年-1935年)(仏暦2468年-2478年)
  • ラーマ8世(1935年-1946年)(仏暦2478年-2489年)

  • ラーマ9世(1946年-現在)(仏暦2489年-現在)
    現在の王様、プミポン・アドゥンヤデート国王。国民からとても尊敬されています。

タイの主な王朝と日本

日本の歴史と比べつつ、タイの主な王朝を年代的に見てみましょう。

タイの歴史 - 主な王朝

その頃の日本史

石器時代より人が国内全土に点在

石器時代より人が国内全土に点在し、社会単位を徐々に発展。
タイ北東部のコーラート(ナコーン・ラーチャシーマー)ウドーンターニーなどに、鉄器時代、青銅器時代の遺物を見る事ができます。

社会単位を徐々に発展

現在のタイとしてのタイ人による統一国家には至ってませんが、今に見るタイ北部では、モン族などによる王朝が開かれます。
  • 538年 仏教伝来

ハリプンチャイ王国

(661年ごろ~11世紀まで) タイ中央のロッブリーから女王「チャーマ・テーウィー」が招かれ、ランプーンにて「ハリプンチャイ」王国が始まります。
1281年には、ランナータイ王国のメンライ(メンラーイ)王(MengRai)によりランナータイに吸収されました。
ランプーンにある王室寺院、「ワット・プラタート・ハリプンチャイ」。ハリプンチャイ王国の女王の子孫「アティタヤラート王」時代の1108年に建立されたもの(1157年と言う話も)。
(ハリプンチャイ王国の女王の子孫「アティタヤラート王」時代の1108年に建立されたワット・プラタート・ハリプンチャイ
12~13世紀のハリプンチャイ様式の仏像。スタッコ(Stucco)とは建築材料らしい。
( 12~13世紀のハリプンチャイ様式の仏像(ハリプンチャイ国立博物館))


  • 603年 冠位十二階を制定。(聖徳太子)
  • 604年 十七条憲法を制定。(聖徳太子)

  • 645年 大化の改新

奈良時代 710年~

  • 712年 古事記ができる
  • 720年 日本書紀ができる

  • 752年 東大寺大仏
  • 754年 鑑真来日
  • 759年 万葉集ができる

  • 784年 長岡京に遷都



平安時代(桓武天皇)794年~

  • 905年 古今和歌集ができる
  • 939年 平将門の乱


  • 1017年 藤原道長、太政大臣となる。

  • 1051年 前九年の役
  • 1083年 後三年の役

  • 1156年 保元の乱
  • 1159年 平治の乱
  • 1167年 平清盛、太政大臣となる。
  • 1185年 壇ノ浦の戦い(平氏滅亡)

ランナータイ王国(1296年~)

ランナーはチェンライのメンラーイ王(MengRai)によって1296年より始まった王国。ラオスやビルマ(ミャンマー)、中国にも影響を及ぼしていたようです

ラオス、ビルマ(ミャンマー)、タイの三国の国境が川の上で重なるチェンセン(チェンライ)のゴールデントライアングル
(三国の国境が川の上で重なるチェンライゴールデントライアングル
(メンライ王が王国(後のランナー・タイ王国)の首都をチェンマイに移す前、1286年に建設した首都「ウィアン・クム・カーム」(ウィアン・クム・カーム遺跡))

  • 1296年 首都をチェンマイ
  • 1558年からはビルマ(ミャンマー)の支配下となる
    チェンライは1786年にタイ王国の一部に編入され、1910年に正式にタイの一県となった模様)
(ワット・プラ・タート・ドイ・ステープ(Wat Prathat Doi Suthep)
標高1080mのステープ山にある寺院。チェンマイのクーナ王統治時代の1383年に建立された。


ピマーイ

タイ北東部イサーン地方には、11~12世紀、クメール帝国の時代にクメールの人々により、文化が栄えていたようです。


大乗仏教の聖殿「プラサート・ピマーイ」。
ピマーイは、堀と城壁によって四方を囲まれた大きな長方形の古代都市。
(大乗仏教の聖殿「プラサート・ピマーイ」 (ピマーイ遺跡))

鎌倉時代 (源頼朝) 1192年~ 

  • 1212年 方丈記(鴨長明)ができる

  • 1268年 北条時宗が執権に就く
  • 1274年(文永11年) 文永の役(元寇 - 蒙古襲来)
  • 1281年(弘安4年) 弘安の役(元寇 - 蒙古襲来)

スコータイ王朝(1240年頃-1438年)

(仏暦1783年頃-1981年)
スコータイ1378年にアユタヤ王朝の属国となるまで、約200年間隆盛を極めたタイ人による初めての統一王朝。
この時代スコータイの最盛期を築いたラームカムヘーン大王によりタイ文字が発明されました


スコータイに残るワット・チャナソンクラム
(スコータイに残るワット・チャナソンクラム (スコータイ遺跡公園))

スコータイ歴史公園のラームカムヘーン大王の像の周りにある昔のタイ文字

(ラームカムヘーン大王の像の周りにある昔のタイ文字)


アユタヤー王朝(1351年-1767年)

(仏暦1893年-2310年)
ウートン王によって王朝が開かれ、およそ400年、都として繁栄。1767年にビルマ(ミャンマー)の攻撃により壊滅的な打撃を受け、その終わりを告げています。
(この後、トンブリー王朝、現在のチャクリー王朝と時代は変遷)
17世紀には日本とも盛んに朱印船貿易も行われ、山田長政をはじめ、800人から3,000人の日本人がアユタヤにいたと言われています。
アユタヤ歴史公園のワット・プラシー・サンペット。アユタヤの王宮の敷地内に位置する最も重要な寺院。
アユタヤ歴史公園のワット・プラシー・サンペット:アユタヤの王宮の敷地内に位置する最も重要な寺院)
アユタヤ歴史公園のワット・マハタート。ビルマと度々戦い、多くの建物が破壊され、仏像は首を落とされている
アユタヤ歴史公園のワット・マハタート。ビルマと度々戦い、多くの建物が破壊され、仏像は首を落とされている)

室町時代(足利尊氏) 1338年~

  • 1360(1903)年:上座部仏教(Theravada Buddhism)がアユタヤにおける公式宗教となる。
  • 1511(2054)年:ポルトガルから外交使節団が来航。
  • 1516(2059): ポルトガルと通商条約が結ばれる。
  • 1569(2112)年:アユタヤー、ビルマに敗北。

  • 1397年 金閣寺建立 (足利義満)

  • 1467年 応仁の乱

  • 1560年 桶狭間の戦い(織田信長)
  • 1582年 本能寺の変(明智光秀)


(御朱印船(末次屋丸))

安土桃山時代

  • 1590年 豊臣秀吉 天下統一
  • 1600年 関が原の戦い

江戸時代

  • 1614年 大坂冬の陣
  • 1615年 大坂夏の陣(豊臣氏滅ぶ)
  • 1637年 - 1638年 島原の乱
  • 1651年 由井正雪の乱
  • 1687年 生類憐れみの令
  • 1702年 赤穂浪士 吉良を討つ
  • 1716年 徳川吉宗、征夷大将軍となる。

トンブリー王朝 (1767年-1782年)

(仏暦2310年-2325年)
  • 1767(2310)年:アユタヤー奪回し、トンブリーを新たに王都へ。


  • 1776年 平賀源内エレキテル発明

チャクリー王朝(ラッタナコーシン王朝)

(1782年-現在)(仏暦2325年-現在)
バンコクの王宮(グランドパレス)。1782年に、首都がトンブリからバンコ クに移る際、ラーマ1世によって建設されました。)
  • 1783年 天明の大飢饉(田沼意次)
  • 1782(2325)年:ラーマ1世即位。王都をバンコクへ。
  • 1826(2369)年:イギリスとバーネイ条約締結。
  • 1832(2375)年:アメリカと通商条約締結。








  • 1872(2415)年:英語学校の開校
  • 1887(2430)年:日タイ修好宣言 (タイと日本の正式国交開始)
  • 1887(2430)年:陸軍士官学校の開校
  • 1894(2437)年:バンコクの鉄道の中心「フア・ランポーン駅」運用開始
  • 1906(2449)年:海軍士官学校の開校






  • 1932(2475)年:絶対王政から民主主義体制へ移行

  • 1939(2482)年:呼び方がサイアム(シャム)国からタイ国へ

  • 1945(2488)年:奴隷身分解消



  • 1800年 伊能忠敬の蝦夷地測量
  • 1823年 シーベルトが長崎へ
  • 1825年 異国船打払令
  • 1837年 大塩平八郎の乱

  • 1853年 ペリー浦賀に来航
  • 1854年 日米和親条約(ペリー)
  • 1860年 桜田門外の変(井伊直弼)
  • 1863年 新撰組の結成
  • 1867年 大政奉還

明治時代

  • 1889年 大日本国憲法発布
  • 1894年 日清戦争
  • 1904年 日露戦争

大正時代

  • 1914年 第一次世界大戦
  • 1923年 関東大震災

昭和時代

  • 1937年 日中戦争
  • 1940年 日独伊三国軍事同盟
  • 1941年 第二次世界大戦

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