【タイ中部】カンチャナブリー1

タイ中部カンチャナブリー1

カンチャナブリーのフォトギャラリーです。

カンチャナブリー: クウェー川鉄橋

カンチャナブリーはタイ西部に位置し、ミャンマーとの国境にあります。バンコクから車で2時間ほどかかります。
後から知ったんですが、ここはクメール帝国やビルマとタイ(アユタヤー王朝)の戦いなど、民族の争いが多くあったところです。 また、下にある写真のように、映画「戦場に架ける橋」の舞台となった、多くの犠牲の上に作られた鉄橋(クウェー川鉄橋)があります。

カンチャナブリ、と一言で言っても、この有名な鉄橋周りを主に指す場合と、別ページで紹介している「モン・ブリッジ」で有名な「サンクラブリ」含めて、県全体を指す場合があるようです。

タイ国にも先の大戦の記憶があちらこちらに残ってますが、ここカンチャナブリの他にもタイ北部のメーホンソンにあるクンユアム旧日本軍博物館(クンユアム郡第二次世界大戦博物館) - Khun Yuam WW2 Japanese War Museumなどがあります。

バンコクからはそれほど遠くないので、一度訪れてみるのもは如何でしょう? ^-^)

【カンチャナブリー】クウェー川鉄橋

映画「戦場に架ける橋」で有名になったクウェー川鉄橋。

第2次世界大戦時(1943年)、日本軍によりビルマへ侵攻するために建設されたタイ・ビルマ(ミャンマー)をつなぐ泰緬鉄道においてクウェー・ヤイ川に架けられた鉄道橋で、現地の人や連合軍捕虜の莫大な犠牲の上、建設されました。
その時に犠牲となった捕虜は、カンチャナブリー駅の近くの連合軍共同墓地に眠っています。
この鉄橋はまだ使われていて、電車が通ります
現在のものは戦後に修復されたもので、鉄橋が半円形になっている部分だけが当時のものだそうですね。
クウェー川鉄橋は、日本軍の名称では「メクロン河永久橋」と呼ばれます。クウェー川は、元々、メークローン川という名前だったところ、映画の戦場に架ける橋によってクウェー川の名が有名となり、結果名前が変更になったとか。

全長415mのこの鉄橋、日本軍のビルマへの唯一の補給ルートとして非常に重要な位置づけであり、連合軍の爆撃による破壊、復旧が繰り返されています。現在のものは戦後に修復されたもので、鉄橋が半円形になっている部分だけが当時のものだそうです。

この鉄橋、まだ使われていて、電車が通ります。電車が来たら、写真にあるように横によけましょう。^O^)

※)間違っても「クワイ川」とは言わないようにしましょう。
正しくは「クウェー」です。「クワイ」はタイ語で男性のあそこの意味になりますよ。^o^)
(日本語の「怖い」は「クワイ」に聞こえるようです。気をつけましょう)
クウェー川鉄橋 - 近くの広場からの全体の眺め
クウェー川鉄橋
近くの広場からの全体の眺め
電車が来るよー
さぁ、もうすぐ電車が通過します。脇に避けましょう。
電車が来るよ
さぁ、もうすぐ電車が通過します。脇に避けましょう。
電車が通る
この鉄道は、まだ使われてます。電車が来ても、ちょっとした出っ張りに避けるだけ。
電車が通る
この鉄道は、まだ使われてます。
電車が来ても、ちょっとした出っ張りに避けるだけ。
クウェー川鉄橋 - 反対側からの眺め
クウェー川鉄橋
反対側からの眺め
電車が来ない時は
このように歩いて楽しみます。
クゥエー川鉄橋駅周辺
人々が行き交います。
電車が来ない時は
このように歩いて楽しみます。
クゥエー川鉄橋駅周辺
人々が行き交います。
電車がきたところ
電車もまだ走ってますよー ^-^)
橋からの眺め
水上レストランがあり、そこから鉄橋が良く見えます。
電車がきたところ
電車もまだ走ってますよー ^-^)
橋からの眺め
水上レストランがあり、そこから鉄橋が良く見えます。
水上レストランからの眺め
水上レストランから鉄橋を見たところ。
トラの子供?
駅周辺にはお店が並びますが、そこで見かけたトラの子供。
水上レストランからの眺め
水上レストランから鉄橋を見たところ。
トラの子供?
駅周辺にはお店が並びますが、そこで見かけたトラの子供。
 クウェー川鉄橋の近くにある、鉄橋建設の慰霊碑
「泰緬甸連接鉄道建設間不幸病ヲ得テ斃レタル南方各国労務者及俘虜ノ為此ノ碑を建テ恭シク其ノ霊ヲ慰ム 昭和19年2月 日本軍鉄道隊」
クウェー川鉄橋の近くにある、鉄橋建設の慰霊碑。
ちょっと立ち寄りお参りです。
以下のように、建設に際して亡くなった方々の為の碑である旨の記載がありますね。

「泰緬甸連接鉄道建設間不幸病ヲ得テ斃レタル南方各国労務者及俘虜ノ為此ノ碑を建テ恭シク其ノ霊ヲ慰ム 昭和19年2月 日本軍鉄道隊」

クウェー川鉄橋 - タム・クラセー駅 - Tham KraSae

「クウェー川鉄橋」駅周辺から、途中「ムアン・シン歴史公園」に立ち寄り、更にタム・クラセー橋駅(アルヒル桟道橋駅)、タム・クラセー駅と進みます。

このあたりは有名な「アルヒル桟道橋」(タムクラセー橋)のある所。第二次世界大戦中、日本軍のビルマ戦線への唯一の補給路である泰緬鉄道。その建設において、クウェー・ノイ川に沿って岩壁スレスレに建設された木造橋がこのアルヒル桟道橋。
全長約300mのS字カーブの橋で、岩壁と川に挟まれたこの工事も非常に難航を極め、多大な犠牲を払っています。

今もこの橋を列車が走りますが、この橋にさしかかると安全の為に時速5kmまでスピードを落とすようですね。(スピード落とすのは観光客に景観を楽しんでもらうため、とは違っていたようです ^-^;) )
タム・クラセー橋駅(アルヒル桟道橋駅)
ひっそりした感じの駅。
タム・クラセー橋駅(アルヒル桟道橋駅)
線路の向こうに見えるのが、アルヒル桟道橋のかかるタムクラセー駅方面かな?
時刻表
タム・クラセー橋駅にある時刻表
タム・クラセー橋駅(アルヒル桟道橋駅)
ひっそりした感じの駅。
線路の向こうに見えるのが、アルヒル桟道橋のかかるタムクラセー駅方面かな?
時刻表
タム・クラセー橋駅にある時刻表
アルヒル桟道橋
岩壁と川に挟まれた場所で、岩壁は線路を敷く為に削り取ったように見えますね。非常に難航を極めた工事だったことがわかるようです。
アルヒル桟道橋
タム・クラセー駅から向こう(先ほど訪れたタム・クラセー橋駅)の方に続くS字の線路が、「アルヒル桟道橋」(タムクラセー橋)ですね。
確かに 岩壁と川に挟まれた場所で、岩壁は線路を敷く為に削り取ったように見えますね。非常に難航を極めた工事だったことがわかるようです。
タム・クラセー駅
クラセー洞窟のあるタムクラセー駅。こちらは、お土産屋さんとかも沢山あり、観光客も非常に多いです。
タム・クラセー駅
クラセー洞窟のあるタムクラセー駅。こちらは、お土産屋さんとかも沢山あり、観光客も非常に多いです。
線路を歩く1
線路を歩いたり、座ったりと、皆思い思いに楽しんでるみたい。
タム・クラセー駅
タム・クラセー橋駅から少し行った次の駅、クラセー洞窟(タム・クラセー)のあるタムクラセー駅。こちらは、お土産屋さんとかも沢山あり、観光客も非常に多いです。
線路を歩く1
線路を歩いたり、座ったりと、皆思い思いに楽しんでるみたい。
線路を歩く2
川沿い、岩壁沿いに、ずーと線路が延びてます。
線路を歩く2
川沿い、岩壁沿いに、ずーと線路が延びてます。
線路を歩く2
川沿い、岩壁沿いに、ずーと線路が延びてます。
クウェー川鉄橋駅と同じように、観光客が線路の上を歩いて楽しんでますね。
木造の桟道橋
ちょっと下を見ると、木造になっているのが見えます。
クウェー・ノイ川
アルヒル桟道橋の隣を流れるクウェーノイ川。
木造の桟道橋
ちょっと下を見ると、木造になっているのが見えます。
クウェー・ノイ川
アルヒル桟道橋の隣を流れるクウェーノイ川。
遠く向こうに見えるアルヒル桟道橋の様子1
向こうに見えるのが、先ほどのタム・クラセー橋駅(アルヒル桟道橋駅)方向ですね。
遠く向こうに見えるアルヒル桟道橋の様子1
向こうに見えるのが、先ほどのタム・クラセー橋駅(アルヒル桟道橋駅)方向ですね。
遠く向こうに見えるアルヒル桟道橋の様子2
もう少し寄って見てみると、木造の橋の様子が伺えます。
遠く向こうに見えるアルヒル桟道橋の様子2
もう少し寄って見てみると、木造の橋の様子が伺えます。
岩を砕いて線路を設置
横が高い岩の壁が続いてます。反対側は川なので、かなり危険な場所ですね。
クラサー洞窟1
線路の脇にあるタム・クラサー(クラサー洞窟)。大きな仏像が祀られてます。
クラサー洞窟1
線路の脇にあるタム・クラサー(クラサー洞窟)。大きな仏像が祀られてます。
クラサー洞窟2
洞窟内、仏像から出口方向を見たところ。こうしてみると、この洞窟、結構深いですね。洞窟は、戦時中は病院として使われていたとか。
岩を砕いて線路を設置
横が高い岩の壁が続いてます。反対側は川なので、かなり危険な場所ですね。
クラサー洞窟2
洞窟内、仏像から出口方向を見たところ。こうしてみると、この洞窟、結構深いですね。洞窟は、戦時中は病院として使われていたとか。

地獄の火の峠 - ヘルファイアパス

ヘルファイアパス、日本語で言えば、地獄の火の峠、となるようです。
周辺の地図
泰緬鉄道建設において最も困難を極めたと言われる場所。時間の関係上、残念ながらその場所までは行ってませんが、写真の先を行くと、両側は高さ10m程の垂直の断崖、鉄道が通れるだけの狭い空間が現れます。

戦争時における無理のある建設期間設定を更に短縮、労働時間を延長し、コレラやマラリアの病、食糧不足などに膨大な犠牲者を出しながら、夜遅くまで労働させられた工事。その壮絶な工事と労働者を照らす焚き火の灯りから、地獄の火の峠(Hellfire Pass)、と呼ばれるようになったようです。

ちなみにこのヘルファイアパス、看板にあった地図(右)を見てみると、Konyu Cutting (コンユー カッティング or コンユーの切り通し)と記載されています。
こんな感じの階段を下りていきます。
階段を下りると歩道の様にになってますが、ここが線路跡ですね。
階段を降りていく
こんな感じの階段を下りていきます。
線路の跡1
階段を下りると歩道の様にになってますが、ここが線路跡ですね。
別の角度より。まだ片側だけが岩ですが、ここも岩を砕いて切り通して行ったんでしょうか。
線路は既にありませんが、枕木が残ってます。
線路の跡2
別の角度より。まだ片側だけが岩ですが、ここも岩を砕いて切り通して行ったんでしょうか。
枕木があります
線路は既にありませんが、枕木が残ってます。
入口付近にある、ヘルファイアパス記念博物館。
博物館の中には、当時の写真やその説明、歴史の流れなどの説明が沢山あります。
メモリアル博物館
入口付近にある、ヘルファイアパス記念博物館。
当時の写真やその説明
博物館の中には、当時の写真やその説明、歴史の流れなどの説明が沢山あります。
博物館内はとても綺麗。
これは当時使われていた道具ですね。
中の雰囲気
博物館内はとても綺麗。
当時の道具
これは当時使われていた道具ですね。
ボタンを押すと場所が表示される模型。
アルヒル桟道橋ですね。
周りの地形
ボタンを押すと場所が表示される模型。
アルヒル桟道橋ですね。
当時の働いてる人の様子。
博物館前の雰囲気。綺麗に整った場所です。
当時の働いてる人の様子。過酷だった様子を赤で演出してるのかな? 博物館前の雰囲気。綺麗に整った場所です。

【カンチャナブリー】連合軍共同墓地 (The Kanchanaburi War Cemeterry (Don Rak) )

Death Railway」で知られる泰緬鉄道(Thai-Burma Railway)。
この鉄道建設に従事させられた連合国の捕虜のうち、多くの方がその劣悪な環境の中で犠牲となり、ここには6982人が眠っています。
記念碑のようですがが、十字架の塔が建ってます。
綺麗に整えられた墓地で、今でも多くの方がお参りに来ています。(2011年)
入口のゲート
1939 - 1945 との表示があります。
墓地内の風景1
非常に綺麗に整理され、美しい風景。
入口のゲート
1939 - 1945 との表示があります。
墓地内の風景1
非常に綺麗に整理され、美しい風景。
説明書きいろいろ
説明書きいろいろ
説明書きいろいろ1
説明には英語のものもありますが、英語ではないもの(左)もあります。よ、読めない... (ノД`)・゜・。
説明書きいろいろ
非常に綺麗に整理され、美しい風景。
説明書きいろいろ2
こちらは英語ですね。ホッ (´▽`*)
墓地内の風景2
非常に綺麗に整理され、美しい風景。
非常に綺麗に整理され、美しい風景。
非常に綺麗に整理され、美しい風景。
墓地内の風景3
非常に綺麗に整理され、美しい風景。多くの方が訪れています。

【カンチャナブリー】JEATH戦争博物館(JEATH War Museum)

JEATHとは、Japan, England, Australia, Thailand, Holland の略だそうです。
ここには、戦争に関するもの、クウェー川鉄道建設に関する展示物などがあります。
写真に残ってませんが、鉄道建設の悲惨さを示す模型がありました。(結構ショッキング)
(2003年)

追記: 戦争博物館としては、タイ北部メーホンソンにもクンユアム旧日本軍博物館(クンユアム郡第二次世界大戦博物館) - Khun Yuam WW2 Japanese War Museumがあります。
入り口です。早速見学してみましょう。
大きな不発弾?が展示されてます。
ゲート
入り口です。早速見学してみましょう。
ゲート付近1
大きな不発弾?が展示されてます。
日本軍の自転車みたいなバイク?
色々なお札
バイク?
日本軍の自転車みたいなバイク?
色々なお札
これは不発弾でしょうか?
銃刀機1
不発弾?
これは不発弾でしょうか?
銃刀機1
銃刀機2
壁には歴代の首相の絵が描かれています。
屋上から見下ろした風景。川が見えますね。
銃刀機2 歴代の首相
壁には歴代の首相の絵が描かれています。
周りの風景1
屋上から見下ろした風景。川が見えますね。
日本軍のサイドカー - 乗ってるのは人形ですね。
捕虜の様子
扉には以下の記載。
"The Japanese Army used railway wagons as "Prisons" for holding prisoners of war in World War Ⅱin Kanchanaburi"
(カンチャナブリで日本軍は、第二次世界大戦中、列車の車両を捕虜の監獄として使った)
日本軍のサイドカー
乗ってるのは人形ですね。
捕虜の様子
扉には以下の記載(訳)。
「カンチャナブリで日本軍は、第二次世界大戦中、列車の車両を捕虜の監獄として使った」
建物を見上げると
大きな龍が飾られてます。
壁には、昔の生活や戦いの絵が描かれています。
昔の生活や戦い1
壁には、昔の生活や戦いの絵が描かれています。
壁には、昔の生活や戦いの絵が描かれています。
建物を見上げると
大きな龍が飾られてます。
昔の生活や戦い2
壁には、昔の生活や戦いの絵が描かれています。
国々の軍人の人形が展示されています。
屋上から見下ろした風景。クウェー川鉄橋が見えますね。
ゲート付近2
国々の軍人の人形が展示されています。
周りの風景2
屋上から見下ろした風景。クウェー川鉄橋が見えますね。
当時の汽車が、近くのJEATH戦争博物館に展示されています。泰緬鉄道を走ってたんですね。
後ろのほうにある大きな看板
"During World War Ⅱ, The Japanese used this train for the transportation of ammunitions to expand the fight into India & Burma"
 (第二次世界大戦中、日本軍はインドやビルマ(ミャンマー)へ戦線を拡大するために、弾薬の運搬にこの運送機関を使った)
機関車1
当時の汽車が、近くのJEATH戦争博物館に展示されています。泰緬鉄道を走ってたんですね。
後ろのほうにある大きな看板
以下の記載(訳)
「第二次世界大戦中、日本軍はインドやビルマ(ミャンマー)へ戦線を拡大するために、弾薬の運搬にこの運送機関を使った」
旗の左にある小さな看板
「カンガナブリでの第2次世界大戦時のミヤンマー、インドへの日本兵軍用具運搬用汽車」
機関車2
ほぼ横からの撮影。JAPAN !
旗の左にある小さな看板
「カンガナブリでの第2次世界大戦時のミヤンマー、インドへの日本兵軍用具運搬用汽車」
機関車2
ほぼ横からの撮影。JAPAN !

過去にはクメール帝国、ビルマとタイのアユタヤー王朝の戦い、先の大戦では今なおその跡が残るカンチャナブリ。まだ鉄道が走っている鉄橋を歩ける、って日本では考えられないと思いますが、日本人には縁の深い場所でした。

国を想い戦った方、争いに巻き込まれた方々は勿論、鉄道建設にあたり無念に命を落とされた多くの方々の魂の安らぎをお祈りします。

【タイ中部】カンチャナブリー1